今日は誰も予定がない。そんな一日は数ヶ月ぶりな気がする。
朝テキストの束をゴミ捨て場に持っていった。
すでに誰かが同じように塾のテキストをゴミ捨て場に大量に捨てていた。SAPIXのテキストではなかったが、かなりの量だ。皆考えることは同じなんだろう。我が家よりも丁寧に縛られており、恥ずかしかったが、我が家も捨てさせてもらった。半分くらい捨てたところでゴミ捨て場がテキストで埋まりそうになったので、残りは後日に回すことにした。
今日で日記形式は最後にしようと思う。せっかく始めたブログだし、人生振り返るのにも良さそうだろうから、何らかの形で記事を書き続けようとは思っているが、こんな風に淡々と日々あったことを書き記すという形は今日で一段落にする。
私は、中学受験をしてよかったと心から思っている。子供や妻にはいい迷惑だろうが、終わってしまったことが本当に寂しい。子供のため、というのはもちろんだが自分のためにやっていたところも大きい。
子育てに熱心な父親ではなかった。妻に甘えてあまり家庭を省みることなく仕事に打ち込んできたし、休日に自分だけ遊びに行くということも少なくはなかった。
だからという訳ではないが、子供が受験するに際しては、私ができる限り頑張ろうと思った。
高校受験、大学受験と経験したが、もともと地頭が良かったのかもしれない。どちらも成功してきたので、私がやってきたのと同じようにやればいいのだろうと考えていた。
長女のとき、それが大きな間違いだったということに6年後半で気付かされた。強制したことは全く無かったが、自分の受験勉強は島津父に近いスタイルで、それに近い感覚で子供にも受験勉強をさせようとした。
それは中学受験に挑むまだ11歳の子供には負担でしかなかった。決して恫喝したり、怖がらせるようなことはしなかったが、徐々に笑顔が消えていく長女を見て、これはまずいと思いながらも、もう方向転換をすることもできず、そのまま受験本番を迎えることになった。
第一志望だった学校の不合格を一緒に見た時の長女の顔は忘れられない。もっと自分の考えや意思でやらせればよかったと心から思った。今は仲良く会話や遊びに行けたりできていることに本当に救われている(心を閉ざされたとかそういう訳でもないが)。
その経験もあって、自分も妻も勉強して、次女の時は極力次女の判断、気持ちを尊重して受験に挑んだ。主導権も妻に任せて、私は応援団長になった。
その結果、何回もこの日記で書いているが、勉強時間も勉強に対する姿勢も、ほとんどの親が描くような理想の受験生の姿には程遠いものだったと思う。志望校も長女と比べて無理のない範囲で選んだ。だがこれも以前から書いてきた通り、子と衝突することもなかったし、笑顔は多い受験生の家庭だったという自信もある。
二人の受験を通じて、深く子どもたちと関わることができた。子供の色んな感情と向き合いながら、たくさんの思い出を作ることができた。もちろん受験しなかったならば別の形で思い出が出来たとは思うし、違う関わり方が出来たとも思うが、少なくとも中学受験をした後悔とかそういったマイナスな感情を抱いたことは一度もなかった。
まあ一度くらいは最高峰を目指す娘の父親というのもやってみたかったが。こればかりは仕方ない。
中学受験のブログやTwitterを見ていると、本当に優秀なご家庭の記事がたくさん目に入ってくる。親御様の教育方針も、お子様の地頭も考え方も本当に素晴らしいのだろう。
ただ、それは本当に一握りのご家庭に限定されたものだとも感じる。
失礼な表現かもしれないが、我が家のようなボリュームゾーンのお子様、ご家庭にはやはり中学受験勉強で課せられるノルマというか、勉強量はとてもじゃないが耐えられたものではないと思う。もう少し気楽に、できる範囲でやればいいと考えられるようになればと思うし、そうやっても最終的に到達する学力はそんなに変わらなかった気がする。
全員が最難関校に行こうとする必要なんてない。親が子に過剰な期待をかけさえしなければできるように思える。でも、多分それが難しいんだろう。
我が家の中学受験は終わったが、これから二人がどんな人生を歩んでいくかしっかりと見届けたい。そのためにももう少し頑張って学費を稼がないと。
自分のために記録してきた自己満足日記でしたが、こんな拙い文章に付き合っていただき、本当にありがとうございました。まだ受験が終わっていないご家族もいらっしゃるかと思いますが、笑顔で終わられることを願っています。
今後はまたくだらないことをブログなりTwitterなりで書いていこうと思います。
タイトルも考えないと。
2024年2月1日まであと361日(もういいって)